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「隠された記憶」について
- karasufukuro
- 2018年1月14日
- 読了時間: 1分
なぜこの作品が作られたか。 この作品をみた人はそれぞれ考えて受け容れる必要があると思う。
生きるものはみな死ぬまでに生身の剥き出しにされてしまう。 抗うことのできない大きな自然の力で。
木陰で交尾するキリンも、メスを追い回す水槽のカメも、必ずどこかで何ものかに観察されている。
人間とて例外ではない。 ただ、人間は服を着る生きもの、それゆえに恥じる生きもの。 疾しさの分だけ、隠された事を見られることには相当な抵抗があるはず。
そうして、脈々と受け継がれた記憶たち。血脈に刻まれた忌々しい過去たち。
情報を操作するテレビの人、他人の闇をあぶりだす精神科医の人・・ 肥大化する脳、無自覚の抵抗。
子供というのは疾しさの産物なのかもしれない。 それが、人間が人間たる所以であると思う。
「隠された記憶」ミヒャエル・ハネケ
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